死体を踏まずには歩けない
2006年10月21日「サムガ」を聞いて。肉離れやライブやリハビリの話を聞いて、あれこれあるのだなと新たに思ったり。でも、胡乱なじいさんばあさんに祓ってもらったというのが一番ショックだ。そこまで追い詰められていたとは。そもそもこんな胡散臭い話ははなから信じない中居くんだが、今回は断りきれない人に勧められてのことだと思いたい。信じちゃいないと信じたい。
死人に口なし。死者を商売にする輩をどうして信用できようか。命を冒涜してるではないか。死者が生者に障ることなどできるはずがない。幸も不幸も生きているものが作り出す。災いを他者のせいにしたり、ましてこの世にいないもののせいにして、解決を求めるような愚かなことを、中居くんにはしてほしくない。
「砂の器」のテーマ。宿命とは、生と死を繰り返す生命に刻まれた記録だ。自分以外に因を求めてはいけない。彼の災厄は、彼以外に原因はない。だから、彼以外に解決もできない。深く自分を見つめろ、中居正広。あなたはそれができるほどに、賢明なはずだ。
かつて墓だった場所を知らずに踏んで、憑かれちゃった。笑えるほどに腹が立つ。
戦争や病気や飢饉や事故や災害。あらゆるところで人は死んできた。どこを歩いたって、死体の上だ。それを祟ったりするほど、死者は愚かではない。
死人に口なし。死者を商売にする輩をどうして信用できようか。命を冒涜してるではないか。死者が生者に障ることなどできるはずがない。幸も不幸も生きているものが作り出す。災いを他者のせいにしたり、ましてこの世にいないもののせいにして、解決を求めるような愚かなことを、中居くんにはしてほしくない。
「砂の器」のテーマ。宿命とは、生と死を繰り返す生命に刻まれた記録だ。自分以外に因を求めてはいけない。彼の災厄は、彼以外に原因はない。だから、彼以外に解決もできない。深く自分を見つめろ、中居正広。あなたはそれができるほどに、賢明なはずだ。
かつて墓だった場所を知らずに踏んで、憑かれちゃった。笑えるほどに腹が立つ。
今は、新しげな建物のえっと見える
この川辺りの町全部が
昔は
大けい一つの墓場でしたけえ
今は車のえっと走っとる
この道の下で
うじ虫の湧いて死んで行った
母を焼いた思い出につき刺されて
息子がひていじゅう
つくなんで おりますけえ
ほいじゃけえ
今、広島を歩く人々よ
どうぞ いついきしづかァに
こころして歩いて つかァさい
それにまだ病院にゃあ
えっと火傷を負うた人も
寝とってじゃし
今もどこかで
指のいがんだ ふうのわりい人や
黒髪で いなげな頬のひきつりを
かくしとった人が
死んで行きよるかもしれんのじゃけえ
ほいじゃけえ
広島を訪れる人びとよ
この町を歩くときにァ
どうぞ いついきしづかァに
こころして
歩いて行ってつかァさいや……
のう……
「しづかに歩いてつかあさい/水野潤一」
戦争や病気や飢饉や事故や災害。あらゆるところで人は死んできた。どこを歩いたって、死体の上だ。それを祟ったりするほど、死者は愚かではない。
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