生ましめんかな

2005年12月31日 日常
「紅白歌合戦」で原爆詩を聞くとは思わなかった。

「生ましめんかな」

 これは実際にあった光景を詠った詩だ。このとき産まれた女性は現在もご存命だ。

 今年、生まれて初めて広島の平和祈念式典に参列した。1分間の黙とうの間、謝ることしかできなかった。

 ―ごめんなさい。この世から核も戦争もなくなりません。安らかに眠らせてあげられません。ごめんなさい。―

 どうして「Triangle」が反戦歌ではいけないのだろうか。とらえ方は自由だが、反戦歌ときくととたんに拒否反応をに示すのはなぜだろう。今の世に反戦歌はそぐわないというのだろうか。人類誕生以来、地球上から戦争が絶えたことなどないだろう。反戦歌がそぐわない時代など、ないのだ。

 彼らの歌を聴くほんの数分の間、どこかで理不尽に殺される人びとを思うことを、「イタイ」などという言葉で汚してほしくはない。

 敗戦後60年目の年がまもなく終わる。毎年、新しい年が始まる午前0時を仏壇の前で迎える。61年目もやはりそうだろう。

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