日付が変わって,一昨日の話になってしまった.

『金スマ』その他とザッピングしながら見た.テレビの良くないところだ.そんな見方で感想というのも後ろめたくはある.実は,前回のテレビ放映を見ている.その時は「Last name」ってこういう意味ね,と思ったくらいしか憶えていない.今回は「ずい分,月に好意的なラストだな」というのが一番の印象だ.大量殺人者が,自分が殺そうとした父親に抱かれて死ねる.しかも,彼の犯罪も,表ざたにならない.母親と妹に配慮してのことだろうが,すっきりしない.正義が絶対でない以上,悪も絶対ではない,とういことか.それとも彼に,悪の美学とやらがあるとか.そんなに月は,憎みきれないキャラクターなのだろうか.「結局,権力に魅入られてしまった弱くて哀れな男」とでもいうのか.原作ではもっとはっきり描かれている,松田が月へ傾倒する心情が分からない.
月と同様,弥海砂にも,全く感情移入ができなかった.レムの彼女への執心ぶりが理解できないし,気の毒にすら思えた.頭は悪くても,一途で一所懸命な女はかわいいが,善悪の判別と倫理をわきまえなければ,盲信的で始末の悪いバカだ.私の価値観はときに男に近いものがあるが,こんな女は御免蒙りたい.

感想ではなく,感情論になってしまった.方向を修正する.

月とLは,対峙はするが対極にいるわけではない.月を悪と位置づけたとして,Lが正義とは言い切れない.月が命を弄び,Lが尊重するという単純な構図も陳腐だ.月にとって自分の命は他者よりも重く,Lにとっては身代わりにした死刑囚と同じ程度だった.そういうことだ.だからLは,デスノートに自分の名前を書けた.デスノートを始末すれば,自分の死後,同じ犯罪は起こらない.犯罪は無くならないが,人間の尽力で解決できる余地がある.冷静で合理的な分析の結果であり,自己犠牲による正義の遂行ではない.執着したのは事件の解決であり,そのためには手段を選ばない.Lにとって,自分も手段のひとつだったのだ.

神になることに執着し,死神に飽きられて名前を書かれた男と,自分にすら執着せずに,自ら死神のノートに名前を書いた男.

どちらも,人間として破綻している.


ところで,原作では記憶を失った月とLが手錠をしたままケンカをするシーンがある.このときだけは二人とも年相応にバカで,大好きなシーンだ.その際Lが月に「わたし けっこう 強いですよ」.そんな風に言うのだが,どこかで聞いたことがある気がしていたら,『白い影』で倫子が石倉と指相撲をするときの台詞だった.
チェンジブロックから後の,人間の姿をした絶望に逢うために,何度も映画館へ足を運ぶ.その絶望の名前は清水豊松なのか,中居正広なのか.

両方かも知れない.

「捨て身」と,脚本の橋本先生は評されていたが,役に取り込まれたのだろう.自分の人生がいかについていなかったかを綿々と話し,ついには人目も憚らず声をあげて泣く.おそらく実際に泣いたのだ.映画という虚構の世界でのことであれ,初めて見る中居正広という人の姿だった.

何かをぶつぶつと呟きながら処刑場へ向かう場面から,ロープの輪を見上げるまで,彼のヒトという動物を人間たらしめていた感応は全て失われていた.黒い布を被せられる直前,写真を見て微笑んだ刹那に,彼の人間は戻ってきて,死んだ.

「貝になりたい」と書き遺した男にとって,はたしてそれは救いだったのだろうか.

漆黒の真球のような絶望を深く抱きしめたい.わたしにとって,この映画を見る目的は,ここにある.

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