渡れない河
2006年2月19日 ○○な若槻さんより○○かも知れない来週のゲストを、分かるようにモザイクをかける「黒バラ」スタッフの技術って、ある意味すごいかも。
今日は白い影ファンサイトのお仲間さんと、オセアで集会。いつも待ち合わせをして連れて行ってもらっていたのだが、今回は自力で行ってみることにした。路線はYahooで簡単に調べられたが、問題はその先だ。と思っていたのだが、その路線でもつまずくところだった。
かつて二子玉川(通称ニコタマ)で大井町線に乗り換えるには、階段を下りて向かい側のホームへ渡らなければならなかった。息せききって(下れば上らなくてはならない)ホームにたどり着き停車中の車両に乗り込もうとしたら、行き先が今来た方面になっている。不審に思って後にしたホームに停車してる車両に目をやったら「大井町」の文字が。再度下って上らなければならず、日ごろの運動不足がたたって太ももが痙攣しそうだった。
どうにか無事に天王洲アイルに到着し、時刻を確認する。予定では11時9分に着くはずだった。だが、腕時計の短針の位置に違和感が。
1時間早かった。家を出発するとき、数字で時刻を表示する時計(デジタルともいう)を見ていてのに。8時45分を9時45分に脳内変換して認識していた。器用な脳を持つと時として思わぬ災難に遭う、というか作る。
屹立するビルにトイレを探して25分が過ぎ、この時点で自分がどこにいるのか分からなくなっていた。だが、運河を渡ればなんとかなるはずと楽観していた。11時20分ごろ、どこだか分からないけれどとりあえずビルから出てみたら、運河の向こうにクルーザーがあった。なんだここ渡ればいいじゃん、と安心し後5分ぐらいしたら出発しようと腰掛けられるところに戻り、それから出発。橋、橋を渡ればたどり着け――なかった。
橋の先に見えるはずのクルーザーがない。周りの風景も違うような。これは戻ったほうがいい。引き返すが、ちゃんと来た道を戻れているのかも分からなくなってきた。結局戻れていなかったのだが、それが幸いした。トイレを探して最初に渡った交差点の右手に青い橋が見える。もしかしてあれかも。一縷の望みを抱いて橋まで行くと、見える、あのクルーザーが。
誰よりも早く駅に着いたが、誰よりも遅くオセアに着いた。
渡れないのよ、目の前の河が。橋があるのに。
方向音痴はいやというほど自覚していたが、空間認知能力そのものがないと結論付けた。
これまであちこちロケ地に連れて行ってもらっていたが、ここだよと言われるからああそうかと思うのであって、自力で認識はできない。カナルにしろオセアにしろ、画面で見たあの場所とは分からなかった。場面を思い出しても、今見ている所に重ね合わせられない。レストランという、点で特定された場所でこの有様なので、町中なんてきっとうちの近所とでも見分けがつかない。ロケ地のレポなど、よくそこがあの場所だと分かるなと、感心するポイントをはずしたまま読んでいる。
いままで気づくことのできた場所は、思い出せる限りで2箇所。「黒バラベースボール」ロケ地の小学校。見覚えのある光景だと思っていたら、母校だった。でもこれは小学生のころの記憶のなせる技で、現在しか関わりのない場所だったら分からないと思う。もう1箇所はかなり古くなるが、五つの赤い風船のライブアルバム「ゲームは終わり」のジャケットの撮影場所、新宿駅前(出口がどこかは忘れた)。ただし、今はなくなってしまったが当時は竹の切り株のようなでっかいオブジェがあって、これが分からなければ空間認知能力以前に、脳みその存在が疑われてしまう。
こんなふうなのに、ひとりで支笏湖に行った。支笏湖は目標物が大きくて交通手段が限られていたため、かえって安全だったのかも知れない。その証拠に、宿泊した休暇村からバス道へ出るのに道に迷った。自分の足で探すのが、一番あぶない。
運河の向こう岸、目の前に目的地が見えるのに、そのすぐそばにある橋にたどり着けないのだ。
今日は白い影ファンサイトのお仲間さんと、オセアで集会。いつも待ち合わせをして連れて行ってもらっていたのだが、今回は自力で行ってみることにした。路線はYahooで簡単に調べられたが、問題はその先だ。と思っていたのだが、その路線でもつまずくところだった。
かつて二子玉川(通称ニコタマ)で大井町線に乗り換えるには、階段を下りて向かい側のホームへ渡らなければならなかった。息せききって(下れば上らなくてはならない)ホームにたどり着き停車中の車両に乗り込もうとしたら、行き先が今来た方面になっている。不審に思って後にしたホームに停車してる車両に目をやったら「大井町」の文字が。再度下って上らなければならず、日ごろの運動不足がたたって太ももが痙攣しそうだった。
どうにか無事に天王洲アイルに到着し、時刻を確認する。予定では11時9分に着くはずだった。だが、腕時計の短針の位置に違和感が。
1時間早かった。家を出発するとき、数字で時刻を表示する時計(デジタルともいう)を見ていてのに。8時45分を9時45分に脳内変換して認識していた。器用な脳を持つと時として思わぬ災難に遭う、というか作る。
屹立するビルにトイレを探して25分が過ぎ、この時点で自分がどこにいるのか分からなくなっていた。だが、運河を渡ればなんとかなるはずと楽観していた。11時20分ごろ、どこだか分からないけれどとりあえずビルから出てみたら、運河の向こうにクルーザーがあった。なんだここ渡ればいいじゃん、と安心し後5分ぐらいしたら出発しようと腰掛けられるところに戻り、それから出発。橋、橋を渡ればたどり着け――なかった。
橋の先に見えるはずのクルーザーがない。周りの風景も違うような。これは戻ったほうがいい。引き返すが、ちゃんと来た道を戻れているのかも分からなくなってきた。結局戻れていなかったのだが、それが幸いした。トイレを探して最初に渡った交差点の右手に青い橋が見える。もしかしてあれかも。一縷の望みを抱いて橋まで行くと、見える、あのクルーザーが。
誰よりも早く駅に着いたが、誰よりも遅くオセアに着いた。
渡れないのよ、目の前の河が。橋があるのに。
方向音痴はいやというほど自覚していたが、空間認知能力そのものがないと結論付けた。
これまであちこちロケ地に連れて行ってもらっていたが、ここだよと言われるからああそうかと思うのであって、自力で認識はできない。カナルにしろオセアにしろ、画面で見たあの場所とは分からなかった。場面を思い出しても、今見ている所に重ね合わせられない。レストランという、点で特定された場所でこの有様なので、町中なんてきっとうちの近所とでも見分けがつかない。ロケ地のレポなど、よくそこがあの場所だと分かるなと、感心するポイントをはずしたまま読んでいる。
いままで気づくことのできた場所は、思い出せる限りで2箇所。「黒バラベースボール」ロケ地の小学校。見覚えのある光景だと思っていたら、母校だった。でもこれは小学生のころの記憶のなせる技で、現在しか関わりのない場所だったら分からないと思う。もう1箇所はかなり古くなるが、五つの赤い風船のライブアルバム「ゲームは終わり」のジャケットの撮影場所、新宿駅前(出口がどこかは忘れた)。ただし、今はなくなってしまったが当時は竹の切り株のようなでっかいオブジェがあって、これが分からなければ空間認知能力以前に、脳みその存在が疑われてしまう。
こんなふうなのに、ひとりで支笏湖に行った。支笏湖は目標物が大きくて交通手段が限られていたため、かえって安全だったのかも知れない。その証拠に、宿泊した休暇村からバス道へ出るのに道に迷った。自分の足で探すのが、一番あぶない。
運河の向こう岸、目の前に目的地が見えるのに、そのすぐそばにある橋にたどり着けないのだ。
コメント