始まりのドラマ

2006年3月18日
 今日は関西で「白い影」の上映会が行われた。日帰りの人たちはもう家に着いているだろう。
 日帰り組も宿泊組も、おそらく興奮して眠れないのではないか。あるいは語り合い、朝も近くなってから束の間、幸福なまどろみに落ちるのかもしれない。

「白い影」はもちろん好きだが、わたしはNN病でもNT病でもない。もともと録画はしても、繰り返し見ることはあまりしない。DVDも同じだ。だから、あの場面はこうだとかこの場面はああだったなど、細部にわたっては思い出せない。ごく印象的な場面に限られてしまう。それでもファンサイトには日参する。「白い影」だけでなく、中居正広のファンが集うからだ。それは「砂の器」も同じだ。

 すでに語り尽くされていることだが、この作品は中居ファンにとっては待ち望んでいたものであり、それ以外の人にとってはファンになるきっかけとなった。

 明るく元気で一生懸命。それまでは彼が作ってきたパブリックイメージに沿って役柄が設定されてきた。彼の「分度器にない」直江庸介は、虚構の産物を超えて実在することになった。和賀英良にも同じことがいえるだろう。新たなファンを開拓した点では、彼にとって大いなるプラスになっている。だが、ファンは貪欲だ。次を、また次をと直江や和賀を要求してしまう。いろいろな役を見たいと思いながら、無意識に二人を追い求めてしまうのだ。それは役者にとっては枷になってしまうというのは分かっているのだ。ふたつの欲求のはざ間で葛藤する。滑稽だが、真剣だ。よりよい役を演じてもらいたい。結局はそれに尽きる。

 三年寝太郎役者・中居正広にどんな役を演じてもらいたいか。待つのが楽しみという期間は過ぎている。見られさえすれば何でもいいという思いと、以前のような役はもういいという思いがせめぎ合う。
 変化する彼を見たい。水のように器によって形を変える彼が見たい。彼に新しい器をもたらす脚本家やプロデューサー、演出家の出現を渇望する。
 久世さんのドラマはどうなるのだろう。脚本家は亡くなっても「中居正広でドラマ」の企画が継続されるのを祈っている。

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