イヨネスコがお好きなんですか
2006年4月5日「砂の器」ファンサイトに投稿中のコントドラマのシナリオを書き終えた。キチンと紙の上で推敲して、作品を完成させたのはいつ以来だろう。書きたいと思うことすらなかったかもしれない。
初めてシナリオを書いたのは脚本講座を受講したときだった。何も知らずに応募したら、小中高生のための舞台用の脚本講座だった。全4回の最終回に何とか作品を間に合わせ、講評してもらえた。講師の先生には、テレビか映画の脚本のようだと言われた。それはよかったのだが、受講生の方に「イヨネスコがお好きなんですか」と言われたときには「ガチョーン」だった。
イヨネスコの作品は不条理劇だ。
わたしの書いたものは、少しも意図が伝わっていなかったのだ。つまり、ひとりよがり。
今回はどうだろう。コンとなので笑いが目的だ。笑ってもらえただろうか。自分で書いていて、果たしてこれは面白いのだろうかという思いがぬぐえない。
でも、完成させた。いつも途中で投げ出していたわたしが、何であれひとつの作品を最後まで書き終えた。そうすると、もっと書いてみたくなる。それは、読んでもらうためのものだ。
イヨネスコがお好きなんですか
書くときには、この言葉を忘れない。
初めてシナリオを書いたのは脚本講座を受講したときだった。何も知らずに応募したら、小中高生のための舞台用の脚本講座だった。全4回の最終回に何とか作品を間に合わせ、講評してもらえた。講師の先生には、テレビか映画の脚本のようだと言われた。それはよかったのだが、受講生の方に「イヨネスコがお好きなんですか」と言われたときには「ガチョーン」だった。
イヨネスコの作品は不条理劇だ。
わたしの書いたものは、少しも意図が伝わっていなかったのだ。つまり、ひとりよがり。
今回はどうだろう。コンとなので笑いが目的だ。笑ってもらえただろうか。自分で書いていて、果たしてこれは面白いのだろうかという思いがぬぐえない。
でも、完成させた。いつも途中で投げ出していたわたしが、何であれひとつの作品を最後まで書き終えた。そうすると、もっと書いてみたくなる。それは、読んでもらうためのものだ。
イヨネスコがお好きなんですか
書くときには、この言葉を忘れない。
コメント