4月24日の日記
2006年4月23日「黒バラ」を見て。なめ茸というかえのき茸を食べると、必ず歯にはさまる。他にもニラ、ほたて貝も。えのきとニラはともかく、ほたては変でしょ。でも、はさまる。食べるときは、覚悟がいる。「承知のうえで食べるんだ。はさまっても、誰も恨んではいけない」
あほくさ!
20日は母の79回目の誕生日だった。生きていればの話だが。去年は花束を持って見舞いに行った。今年はマンガを立ち読みしていた。帰途についたのが9時半で、「うたばん」を見損ねた。BBSの書き込みを読むと、そういうときに限っておいしいネタがあったりする。
いま、小さいけれど地震があった。このところ、連日ある。大地震の前兆でなければいいが。
話を戻す。立ち読みはわたしにとって麻薬のようなものだ。とりたてて面白いとも思えないのに、読むのをやめられない。次から次へと手を出す。気がつくと閉店間際になっていたりする。
もちろん、やめられるときのほうが多い。でも、何かの拍子、精神の状態、そんなもので依存症のようになってしまう。この間のは、母の誕生日というのが大きかったと思う。何かに熱中して気を紛らわせたかったのかも。
ちなみに、父の誕生日は6月10日だが、本人の話によるといわくがある。
父の生まれた当時は出生日が誕生日ではなく、役所に届け出をした日が誕生日だったのだそうな。父が生まれたのは5月30日だか31日だかで、届け出が6月1日。ところが漢数字の「一」の真ん中あたりに「、」のようなものがついてしまい、「十」と勘違いされ、かくて6月1日となるはずの誕生日は10日となった。
落語のネタのような話だ。それから「もーれつア太郎」も思い出す。
ア太郎の親父、×五郎は本当は八五郎のはずだった。ところが息子誕生をよろこんだ×五郎の親父はしこたま祝杯をあび、役所に行たときにはへべれけで、名前を書くのに「八」の線がクロスしてしまった。
×五郎はマンガの世界の話だが、父の誕生日は現実の話だ。もっとも、父のほら話でなければのことだが。
きょうは一日寝て暮らしたのに、もう眠たい。とりとめのない日記だけど、お終い。おやスマなさい。
あほくさ!
20日は母の79回目の誕生日だった。生きていればの話だが。去年は花束を持って見舞いに行った。今年はマンガを立ち読みしていた。帰途についたのが9時半で、「うたばん」を見損ねた。BBSの書き込みを読むと、そういうときに限っておいしいネタがあったりする。
いま、小さいけれど地震があった。このところ、連日ある。大地震の前兆でなければいいが。
話を戻す。立ち読みはわたしにとって麻薬のようなものだ。とりたてて面白いとも思えないのに、読むのをやめられない。次から次へと手を出す。気がつくと閉店間際になっていたりする。
もちろん、やめられるときのほうが多い。でも、何かの拍子、精神の状態、そんなもので依存症のようになってしまう。この間のは、母の誕生日というのが大きかったと思う。何かに熱中して気を紛らわせたかったのかも。
ちなみに、父の誕生日は6月10日だが、本人の話によるといわくがある。
父の生まれた当時は出生日が誕生日ではなく、役所に届け出をした日が誕生日だったのだそうな。父が生まれたのは5月30日だか31日だかで、届け出が6月1日。ところが漢数字の「一」の真ん中あたりに「、」のようなものがついてしまい、「十」と勘違いされ、かくて6月1日となるはずの誕生日は10日となった。
落語のネタのような話だ。それから「もーれつア太郎」も思い出す。
ア太郎の親父、×五郎は本当は八五郎のはずだった。ところが息子誕生をよろこんだ×五郎の親父はしこたま祝杯をあび、役所に行たときにはへべれけで、名前を書くのに「八」の線がクロスしてしまった。
×五郎はマンガの世界の話だが、父の誕生日は現実の話だ。もっとも、父のほら話でなければのことだが。
きょうは一日寝て暮らしたのに、もう眠たい。とりとめのない日記だけど、お終い。おやスマなさい。
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