マンガの立ち読みしましたあ。1時過ぎごろ本屋によって、出たのは9時15分前でしたあ。あは、あははははは。
 いーじゃん。漫画(マンガではなく)は古い友達つーか、悪友なのよ!

 物心付いた頃、最初になりたかったのは科学者だった。それが小学校2年生のとき、突如漫画家に変わった。高校生の頃声優になりたいとかチラッと思ったこともあったが、社会人になってもいつかマンガ(その頃はこう表記されるようになっていた)が描きたいと思っていた。いつかは結局なかったのだが。
 野球マンガが描いてみたかった。少年マンガの王道、野球マンガ。「野球狂の詩」とか「あぶさん」なんかに、アメリカの野球小説や山際淳司のノンフィクションの味わいを加えたような。コピーでいいから自分で10部くらい作って、知り合いにたのんでコミケのスペースに置かせてもらえたらなあ、なんてね。

 でも、描けねーんだよ、絵が。わたしはパース音痴らしい。パースが取れない。もっとも基本的な一点透視法すらあぶない。ましてや消失点が複数ありますなんて、もうわけが分からない。そのくせ、背景を描きこまないと気がすまない。一コマごとに構図を変えないと気がすまない。映画のカットを割るように。無理でしょ。デッサンもかなりあやしいし。

 手塚治虫はあたりをつけただけで、ペンを入れたそうだ。それなのに、話はいくらでも考えられるのに、絵がついていかないと話していた。天才とは凄まじい。

 話は抜群に面白いけど、絵がいまいち、絵は抜群にうまいけど話がいまいち。こんな二つの投稿作品があったら、話のうまいほうを採る。わたしが編集者ならそうする。絵はたくさん描けば何とかなるが、話を作るセンスはある程度天性のものだからだ。もちろん、努力を重ねてうまくなる人もいるけど、それもまた隠れていたものを引き出したことになるのだろうし。

 小林よしのりなんて、ひどかったよ。デッサンもパースもあったもんじゃなくて。女の子の下書きを江口寿史に描いてもらったって作品の中で喜んで書いてたもん。それも、ペンを入れて台無しにしていたし。

 だから、絵は描き続ければ何とかなる。(はず)

 絵は諦めたが、話を作るのは諦め切れなかった。アニメや映画や芝居が好きだったので、シナリオや戯曲を読むようになった。東京都のナントカ委員会とか、市のコミセンが開いたシナリオ講座に通ったりした。

 何を勉強したのだろう、わたし。読んでもらうのを前提に書くことを、あれほど言われたのに。その頃の原稿は捨ててしまった。唯一残っていたシナリオの下書きを読んだが、わけが分からなかった。書いた当時は、面白いと思っていたのに。設定表のほうがよほど面白かった。

 恥の記録はやはり残しておかなくては。自分のために。

 マンガ、描きたかったなあ。今でもあこがれる。
 シナリオ、書きたいなあ。ドラマを見ると、最近思う。

コメント

若子
若子
2006年5月4日23:40

冒頭から爆笑しました。
マンガやシナリオへの憧れ、私も同じような気持ちを持っています。はすさんのように、きちんと勉強したことはないけど。
でも、異常に物持ちのいい私。大昔書いた話を、今でも取って置いてます。
読み返すと恥ずかしさにのたうち回るけどね(^^;)。

はす
はす
2006年5月6日22:56

わたしも小学校の頃からの落書き帳などを取っておいたのですが、ビョーキのせいかあるとき突然「過去なんかいらない!」と捨ててしまいました。
後悔しています。
落書きを見ると、その頃何を考えていたかとか、好きだった漫画家だとかすぐにわかります。
心底後悔しています。自分の歴史を捨てたのですから。
若子さんの歴史、大切にしてください。

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