今もそこにある

2006年7月30日
 もう10年以上前だろうか。地元で「火垂るの墓」の上映会があった。中に、清太が節子の髪を櫛で梳いてやると、ぽろぽろと白いものが髪からこぼれ落ち、櫛の歯に付いたそれを清太が指でつぶすと赤く染まるというシーンがある。わたしの前の席に親子が座っていて、女の子が母親に「あれは何?」と尋ねた。母親は「フケでしょ」と答えた。

 おかあさん、あれは虱です。フケはつぶしても赤く染まったりしません。

 あの母親は、戦争の話を聞いたこともなく、読んだこともないのだろう。栄養失調で弱った節子から、搾取するように血を吸う虱をつぶす清太の、やり場のない怒りが分からないのだ。分からないから、あれがどれほど切なく悲惨なシーンかを娘に教えることができない。

 今、各自治会の掲示板に「ガラスのうさぎ」の上映会のポスターが貼ってある。ポスターにはこう書かれている。

知っていますか
むかし、むかし、この国で戦争があったことを


 むかしむかしの戦争とは応仁の乱か?関が原の合戦か?

 人類の誕生以来続いているであろう戦争の歴史から見れば、60数年前の戦争などつい最近のことだ。だが、このコピーを作った人物には何百年も前の戦と同じ感覚なのだ。体験者が大勢生きているというのに。その人たちにとっては昔の出来事などではなく、今でも血の流れる癒えない傷だというのに。
 しかも、この人物は知っている。聞いたことも読んだことも、フィルムや写真で見たこともあるだろう。なのに「今」に引き寄せて捉えることができない。戦争はどこか遠い国、あるいは物語の中で起こっている。

 こんなコピー、誰が作った。

 昨日、米軍機が飛んだ。轟音に何もかも押しつぶされてしまうと、いっそ人でも殺さなければやっていられない感覚に襲われ、自分が人間ではないものになってしまった恐怖に苛まれる。

 ほら、戦争なんてすぐそこにある。

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