なめ茸空き瓶ご飯の3人分の空き瓶は、誰が作っているのだろう。

雪の朝は明るかった

2006年1月21日
 天気予報、信じていなかった。目が覚めたら明るいので、天気いいんじゃん、フリマに行こうか洗濯しなくちゃなど思いつつ、結局朝寝をしてカーテン開けて、おやビックリ。見える限りの屋根が白い。しかも積もっているだけでなく降っている。

 なんだ、天気予報当たったんだ。信じていないわりに、ベランダの植物をすべて部屋に取り込んでおいてよかった。

 今日よりもっと積もった日に、銭湯に行った。よく憶えていないのだが、冬だというのをいいことに何日も風呂に入らないまま日曜日の夜になって、このままじゃ会社行にけない、てなところまで追い込まれていたのではなかったか。銭湯は道ひとつ隔ててマンションのまん前にあった。ここに引っ越したのはそのためだ。以来、自宅の風呂は掃除をしたこともなく使えない状態だった。
 で、行った。階段に積もった雪に隣人がつけた足跡をなぞり、シャーベット状態の道を渡って。温まってさあ帰ろうとパーカーのポケットに手を入れたら、鍵がない。ロッカーの中をを探す、床の上を探す。ない。
 探しながら道を渡り、自室の錠を見るが刺さったままにはなっていない。階段を降りながら積もった雪を手でかいてさがすが、ない。
 これを何度も繰り返したが、やはりない。もうすっかり湯冷めしている。後できることはひとつ。ユージン・ミヨコさんに預けてある合鍵を取りに行く。

 行った。車も人もあまり通らず、雪が積もったままの道を歩いて。もう、靴の中ビショビショ。寒いし冷たいし気持ち悪いし。たどり着いたらユージン・ミヨコさんは驚き、気の毒がってくれた。とにかく自室に戻れたが、結局鍵は見つからなかった。

 そういえば子供の頃、雪を食べたことがある。カキ氷みたいなのかと思ったからだ。表面を掘り起こし中のほうのをお猪口に盛って、上白糖をかけて食べた。

 不味かった。 お腹、こわした。

 
 あ、明日が今日になってしまった。もう、寝よう。
「ドレミ侍」
 
 あははは。主演・中居正広以外ありえない。
 
 でも、お侍さん、抜き身で差すのは危ないですぜ。抜いたとき刃が上向いてるし。峰では相手は斬れないし、へたすると自分が斬れちまうし。差すときには刃が上、峰が下になっていたのに、どう抜いたらああなるのだろう。

 中居正広、恐るべし。

「腕におぼえあり」に出演したときには刀が長くて「抜けねーよ」だったそうだが。
 
 時代劇の友情出演も魅力的だが、それより人間ドック受診企画をぜひお願いしたい。不規則な生活に酒、タバコ、運動不足。生活習慣病の条件を満たして余りある。
 慎吾くんとTOKIOの太一くんが直腸だか大腸だかの検査を受けていたなあ。アイドルなのに、捨て身。

 中居さんにも、痛くもかゆくもないCTスキャンだとかMRIだとかMRAだとかそんなのだけではなく、実益もかねた捨て身企画(胃カメラとか大腸スコープとか)もお願いします。

 あの麗しいお姿にふさわしい、美しい内臓であってほしい。

 胃カメラ開発の悪戦苦闘を描いた小説「光る壁画」のタイトルは、初めて写された犬の胃壁の写真のことだ。
 彼の臓器が一点の曇りもなく光っていることを願ってやまない。

 わたし、いたって真剣なのだが、ちょっとグロい?

 グロいついでに、もうひとつ。ヌードマウスやヌードラットは免疫機能を持たない。そのために異種細胞を移植しても拒絶反応がない。実験のため人間のがん細胞を移植すると、外見でもわかるほど増殖する。患者が死亡してもそのがん細胞だけがマウスやラットの体の中で生き続けることにもなるそうだ。
 切なくも、ぞっとする。

 さて、明日のために今日も寝よう。

早起きで得するか

2006年1月19日
 めずらしく早起きできた。昨日は就寝時間が11時を過ぎていたのに。「神はサイコロを振らない」が時間延長されているのに気づかなかった。本当は10時には寝たいのだが。録画物がたまるたまる。仕事から帰ってご飯食べてシャワーを浴びて、それだけなのに時間がない。みなさん、どうしているのだろう。

 早起きするとちょっぴりいいことがあるそうな。
 いま、日記書いてるし。
 これから熱いコーヒー飲もう。昨日までのささやかな願望だったから。

間違えました

2006年1月16日
「スマスマ」の予約録画のチャンネル設定を間違えた。ルーレットボウリングが佳境に入ってきたところでインジケーターを見たら、チャンネルが「9」になっている。9?!いつからフジテレビは9チャンネルになったんだ。

 前にもやったなあ。そのときは7だった。ま、やっちまったものは仕様がない。仕事でヘマするよりはまし。こういうミスに気を付けなくちゃね。
 て、意外とサバサバしているわたし。内容がいまいちだったのかね。でも、「Piece of wold」の中居くんの優しい歌声を残せなっかったのは、残念。たくさん歌ってくれたのにな。

 そんなこんなで、明日のために今日も寝よう。
 年頭の中居日照りがうそのよう。HDDに録画物が日に日に溜まってゆく。見ようと思っても、その時間に録画する番組がある。今日の「仰天ニュース」、せめて2時間にしてくれ。明日は「うたばん」。大丈夫か、脆弱なHDD。
 
 ああ、としあたまの静寂な日々に…帰ったら寂しいよね。

反省と欲求

2006年1月8日 日常
 何かやろうとすると決まって魔に負ける。昨日と今日は久しぶりに七里ガ浜のフリーマーケットに行こうと思っていたのに。朝起きられない。やっとこさ洗濯を終えたら、昼近くになってしまった。さ来週もあるけど、起きられるかなあ。洗濯できただけでもよしとしようか。

 中居くんの番組2本、録画したまま未見。明日は生。大丈夫か。録画物をためるとHDDがへそをまげてしまう。すでに2回、初期化をした。そのたびに多量の録画物がお釈迦になった。ファンの間ではあれこれ言われた「Triangle」のPVも消えた。もう2度と見られないとなると、どんなこと言われようとやっぱり貴重でしたよ。また「Clip!Smap!」みたいなビデオ、DVDを出してほしい。

 ドラマ見たいよぉ、中居さん。「砂の器」全話、まとめて見たからかな。レギュラー番組をより充実させるのは、現状維持であって現状維持ではなく、中居くんらしい控えめな前進の表現だと受け止めたけれど、でも驚きがほしいの!緩やかな前進ではなくて瞠目する変化が見たい。ただし、ビジュアルを除く。お願い、今のままでいて。
 連日同じことを書くのも能が無いとは分かっていながら。
 寒いよう。めそめそ。出勤のとき、ズボンの下にスパッツはいてった。あったかかったけど、会社で制服に着替えたら、よりいっそう寒さが身にしみた。スカートいやだ。冬の間だけズボンにしましょうよ。そうしたら股引みたいな防寒用の下着はいちゃうね。おじさんたちだって絶対股引はいてるね。ずるいぞ!

「女王蜂」を見た。真犯人って大道寺だったっけ。原作も読んでいるし、ドラマも古谷一行さんの金田一で見ているのに、あらすじをすっかり忘れていた。でも神尾秀子を見たとたん、あ、この人が犯人て思ったというか思い出した。のはずだったんだけど。
 
 憶えていない。全然思い出せない。目元のこじわはふえてるけれど、脳みそのしわは確実にへっている。ラスト、本当にあんなんだったっけ?!

 金田一耕介シリーズは、ジュヴナイル数編を残してほとんど読んでいる。読みすぎてどれがどれやらどうっだったやら分からなくなってしまった。意味無いじゃん。

 吾郎ちゃんの金田一は小ぎれいすぎる。せっかく原作どおりの服装なので、やはりそこはそれ適当にむさ苦しくしてほしい。むさ苦しい吾郎ちゃん、貴重でしょ。

 原作どおりの金田一って、画期的だったのだ。石坂さんが演じるまでの金田一はみな洋装だった。洋装ったって限度がある。初代の片岡千恵蔵さんのはすごい。ダブルのスーツにソフト帽をかぶり、拳銃所持。探偵事務所を持っていて女性秘書をおき、事件現場には自家用車でかけつける。名前だけ、金田一耕介。めそめそ。

 他には、川津清三郎、高倉健、池部良、中尾彬など。中尾さんだけ見たことがある。「本陣殺人事件」。ジーパンはいた金田一だった。そういえば「八つ墓村」の渥美清さんも、ワイシャツ姿だったかな。市役所の戸籍係の人みたいだったような。

 原作者のイメージは宇野重吉さんだそうな。

*********************

 1時10分から「中居正広プロ野球!タブーに挑戦!朝まで徹底討論会」て番組があるのだけれど、始まる時間も時間だが終わるのが4時10分だと!あーさーのー。

 予約して、寝ます。

寒かった

2006年1月5日 日常
 寒いよう。めそめそ。意気地なしと言われてもいい。寒さに負けています。
 仕事始めなのに。1週間ぶりでスカートをはいたら、寒いの寒い。特に腰から下がシベリア状態。本当に寒いのよ。だって暑さ寒さに鈍感なおじさんたちも、口をそろえて寒がっていたもの。
 
 ベランダの鉢ものを部屋に取り込んだ。凍っても根が生きていれば春になれば再生するけれど、でももとのきれいな状態に戻るのには多大な月日がかかる。それにやっぱりかわいそう。生きたまま凍るなんて。

 そんな寒い日に「砂の器」の最終楽章を見る。生きながら凍ってしまった男の帰り着いたところは、父の手だった。丹念に撮られたロケシーンに圧倒され、「古畑」を見る気が失せてしまった。

 3年に1本でいいから、中居くんには何かを背負いあらがいときに押し流されそうになりながら、誠実に人生に向き合う人間を描く、そんな作品に出てほしい。
 彼は役の仮面をかぶるのではなく、自分の中の素顔を引きずり出したとき、役者として最高の凄みを見せられるのではないだろうか。
「砂の器」のファンサイトのBBSに、実は録画を1回しか見ていないのを白状した。
 あー、さっぱりした。なにくわぬ顔をして書き込みするのが後ろめたかった。訪れる皆さんにはいい迷惑だったと思うけれど。

 9話以降が残っている。正月休み中に全話見たい。もう、ただ純粋に見たい。
 手に汗握る大トリも、すでに去年の出来事とは。「光陰矢のごとし」を実感してしまうわたしは年なのか?
 さて、「Triangle」。いつも吾郎ちゃんのパートになるとホッとするのだが、その吾郎ちゃんも力が入ってた。でも、どんなに出場回数を重ねても、うぶな部分が残っているって素敵だと思う。そんなスマップが好きだ。

「紅白歌合戦」を見るのは3年ぶりだ。おととしはスマップが出場せず、さきおととしは入院中だった。
 2002年の年末から2003年の3月末ごろまで、わたしは精神科病院の閉鎖病棟にいた。うつ病が悪化して入院させられたからだ。なにせそこでは、消灯が9時なのだ。大晦日は特別に紅白を最後まで見てもよいことになったが、そういうときに限って就寝用の薬が効いて、とても起きていられなかった。もしかしたらスマップ、トリかなと思いながら寝た。年が明けて、スマップファンのN子さんが電話で「スマップ、トリだったね。カッコよかったね」と話しているのを聞いて、ああやっぱりと思ったものだ。

(その病院の閉鎖病棟は名前の通り、外へ通じるあらゆる扉に錠が設けてあり、医師、看護師、ヘルパーが共通の鍵を持っていて、出入りのたびに鍵を開け鍵を閉めを果てしなく繰り返すのだった)

 そんなわけで、いろいろ言われた「紅白歌合戦」だが、なに気がねなく見られる幸せを久しぶりに味わった。

 そして、見られなかったものは紅白だけではない。

「砂の器」

 年末のTV、雑誌等からの情報収集。放映が始まってからのBBS上での熱い語らい。それらすべてが別世界のものだった。友人にスマスマと共に録画を頼んでおいたが、見たのは退院してからずいぶん時間がたってからで、しかも1回だけだ。専用のBBSは今でもほとんど読んでいない。ブラウン管の中の物語より、現実の自分の宿命のほうが圧倒的にまさっていたからだろう。ドラマに思いを持てないまま、それでもファンサイトにお邪魔し、ロムだけならぬ書き込みまでしてしまう自分って?

 自己嫌悪。

 今日、買ったままになっていたDVDの1話と2話を見た。先に書いたようなわけではなく、中居くんの新しいCMが見たかったのだが、どうでもいい番組をだらだら見るのは考えただけで苦痛で、テレビのスイッチを入れるのもためらっていた。思い切ってスイッチを入れたものの、やはり耐えられない。そこに、買ったままになっていたDVDが目に入った。

 見た。新鮮だった。

 1話。開始から9分を過ぎるまでセリフが無いのに驚いた。そして第一声が「秀夫」。過去への扉を開け、和賀と彼に係わる人びとを宿命の奔流へと巻き込む言葉。この短い一言が、この先のドラマを語るのだ。うまいなあ。
 
 1、2話ともセリフが少ない。特に中居くんは表情と身振りだけで感情を表現しなければならない。脚本を見てみたい。どんな風に書かれているのだろう。それを演出家と中居くんがどのように解釈し、表現したのだろう。

 倒れた三木を見下ろし、狼狽して焦点が定まらないまま宙を泳いでいた目が一瞬見据えられ、あたりの人影を窺う確かな目的を持って動かされることで、殺害の決意を表す。「目は口ほどにものを言い」を実際に見せられた。この演技を引き出した演出家に、応えた役者に、演じられると信じて書いた脚本家に感謝したい。

 2年を経て、ようやく「砂の器」の入り口に立てた気がする。

>若子さま
 日記2日目にして、リンクさせていただきます。まだ時期尚早とかそんなこと考えていたら、わたしのことだから永久に実行できないかもしれない。だから今、実行します。
 一生懸命やまじめであることを、恥ずかしいとか格好悪いとかキモイとかウザイとかイタイとか、そんな言葉に逃げたりしない若子さんと若子さんの文章が好きです。

 お付き合い願えれば幸いです。
 

生ましめんかな

2005年12月31日 日常
「紅白歌合戦」で原爆詩を聞くとは思わなかった。

「生ましめんかな」

 これは実際にあった光景を詠った詩だ。このとき産まれた女性は現在もご存命だ。

 今年、生まれて初めて広島の平和祈念式典に参列した。1分間の黙とうの間、謝ることしかできなかった。

 ―ごめんなさい。この世から核も戦争もなくなりません。安らかに眠らせてあげられません。ごめんなさい。―

 どうして「Triangle」が反戦歌ではいけないのだろうか。とらえ方は自由だが、反戦歌ときくととたんに拒否反応をに示すのはなぜだろう。今の世に反戦歌はそぐわないというのだろうか。人類誕生以来、地球上から戦争が絶えたことなどないだろう。反戦歌がそぐわない時代など、ないのだ。

 彼らの歌を聴くほんの数分の間、どこかで理不尽に殺される人びとを思うことを、「イタイ」などという言葉で汚してほしくはない。

 敗戦後60年目の年がまもなく終わる。毎年、新しい年が始まる午前0時を仏壇の前で迎える。61年目もやはりそうだろう。

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